マザコン男
先日、元彼が結婚したことを聞いて、一瞬「ウゥ!」と思ってしまった。
この「ウゥ!」とキタのはなんだろう?
別の彼氏が、別の女性と結婚したことを聞いたときは、「ああ良かった~!」と思ったことがある。相手によるこの感情の違いは何だろう、と自分でも思うのだが、多分、「マザコン」だ。
「ウゥ!」と私がキテしまった元彼は、マザコンだった。喧嘩すれば、母親のもとに帰ってしまう、そんな感じの人だった。私の本棚の、女性論や夫婦別姓関連の書籍は彼によって、ズタズタにされたことも今や懐かしい青春の1ページ(笑)。お互い幼かったんだなあ、、
ともあれ、マザコンが結婚かぁ~・・。ふぅ。
なんて、思っていたら、昨日、テレビで、リリー・フランキーが、
「男性に対して、『マザコン』といってはいけない」
と説教たれているではないか。
いえいえ、私は、相手に対して、そんな言葉は発してはいないですが(心の中では思いっきり言ってるが)。
氏は、
「男は聞いてないようで、女性が発したマザコンという言葉はしっかり聞いている。女性が男性の母親のことを嫌がったりすれば、そんな女は選ばないだろう」
というようなことを言っていた。
選ばれたくないですけどね・・(ぼそっ)。
そーいうあなたは女性に選んでいただけたんですかね?
それは、あくまで男性側の視点であって、自分は彼女の親のことを大事にしてきたのか?
こういう「非対称性」がいやだ。
そもそも、リリー・フランキー著「東京タワー、オカンとボクと、ときどき、オトン」に多くの人が涙した、っていうのが、私には全く理解できない。偉大なるマザコン自伝ってところであるが。
親を大事にすることと、親から自立すること、両者のバランスは難しい、そう感じた。
(否定ばかりしてもなんなので、彼の”おでん君”はかわいいよ)。
女性は男のマザコンを嫌悪し、そして、男性は、女性の「マザコン嫌い」を嫌悪する。
男性のマザコンに限ったことでなく、今は「友達親子」なんていう言葉もあるぐらい、女性が親にべったり、というケースも多々見られ、マザコンに類似しているじゃないか、という反論があろうかと思うが、それとこれとは違う。
マザコンの男性は、パートナーである女性に「母親」的役割を求めるところが最も問題なのだ。そして母親に対して毅然とした立場を取れないと、嫁姑問題をこじらせることになる。
そういった問題も理解せずに、ただ、女性のマザコン嫌いはよくない、という男ってどうよ?。
そのテレビで、偉そうにリリー・フランキーが語ったあとに、松下由樹をはじめとした女性陣は、頭はうなづいていても、口元がピクっとなっていたけどね。
(その女性陣も、私も、おそらく、様々な?経験をへて、マザコンに対しては「ウゥ!」って過剰に反応してしまうのであろう。)