馴れとは恐ろしいもので。 | 共同合宿所

馴れとは恐ろしいもので。

馴れとは恐ろしい。
保育園の親子関係で、飲み会や宿泊のスキーイベントなど、頻繁に行う今日この頃、
すっかり、「○○君ママ」と呼ばれることに、平気になってしまった。
子供からも呼ばれるが、親同士もそう呼びあうようになってしまう。
気が付いたら、自分の携帯の中に登録している名前も「○△パパ」「○○ちゃんママ」とか平気で入力するようになってしまった。
あまりに件数が多くて、「ええい、名前確認するのも面倒くせぇ!」ってな具合。
もちろん、親しくなった人は名前で呼ぶようにしているものの。

まあ正直言って、それだけの付き合いではないかと思う。
子供同士が一緒にいてとても楽しんでくれて、親はもろもろ情報交換が出来る、それ以上でもそれ以下でもなく。
兼ねてより親しくしている友人との関係とはほど遠い。

自分が自分でないみたい。だれだれのお母さん、というイヤだな、という感覚は、日常の中で、繰り返され、そして、流されて、「まあいっか」になっていく。
そして、「まあそれが”普通”だよね」になって、再生産されていくのかもしれない。
ちなみに、結婚改姓なんていうのも、最初は違和感や面倒くさい気持ちがあった人も、もしかして、そうなっていくのかもしれない、なんて思ってしまう。

しかし、ひとつ、この私が○○君ママを受け入れてしまっている背景には、それが非対称ではないからかな、と。
やっぱり男も「○○君パパ」って呼ばれているから。単純だな。
でもやっぱり本質的には嫌なものは嫌だけれど。