疑わしきは罰する | 共同合宿所

疑わしきは罰する

足利事件の菅家さんが17年ぶりに釈放、のニュースにはやりきれない思いでいっぱいだ。
その晴れやかな顔も、きょうびの62歳にしてはずいぶん老けていて、苦労したんだろうな、と勝手な想像をめぐらせてしまう。
日本での冤罪率は高く、日本の刑事裁判の有罪率は99%、アメリカでの陪審員裁判での有罪率は78%だそうである。そのポリシーは「疑わしきは罰する」である。
最近では、和歌山カレー事件が気になる。どうみてもあの顔は善人顔ではないので、死刑判決について何の疑問ももっていなかったのだが、状況証拠があまりにも乏しい現状を知ると、「疑わしきは」の最たる例で背筋が寒くなる。状況証拠をもっていて、シロかクロか、といったら、彼女に過去どんなバックグラウンドがあろうと、これはシロにせざるえない
事件の現場にたまたま通りがかっただけで、いつ自分は犯罪者にしたてられ、そして死刑になるかもわからない。
われわれが日々メディアを通してみるニュースに限らず、人々がものをみる目には常に偏見というバイアスがある。
裁判員制度も始まり、さらに複雑な思いだ。自分に赤紙が来ないことだけを祈る。