共同合宿所 -6ページ目

英語日記

それにしても忙しすぎる。プライベートも忙しい。
英会話学校も相変わらず忙しい。
そんな中、英語日記(期間限定)を始めました。

リストラと格差

自動車メーカーや、大手家電のリストラニュースが続く。
景気が悪くなって物が売れなくなれば、まずは、生産部門からレイオフってことになる。末恐ろしい。

そんなときに森永卓郎の年収防衛を読む。
人件費コストを削減して製品価格を下げないと競争に生き残れない、という体制派の見方はうそで、2001年から2005年の日本全体の雇用者報酬は減っているのにもかかわらず、営業余剰は増えているという。
このことは、企業は、人件費カット分を製品価格の引きさげには振り向けず、利益の上積みに振り向けた、ということを意味する。企業は競争するために、非正規雇用を増やしたわけではなく、利益を得るために非正規雇用を増やした、ということ。同年に、企業が株主に払った配当金も2・8倍に増え、そして、特に大企業では役員報酬が2倍以上になっていているという。一方、中小企業の役員報酬は減っていて、何があったかというと、大企業が中小を叩いてコストダウンを図っていることが、中小企業の役員報酬ダウンに如実に表れてるということだ。
まとめると、大手企業は非正規雇用を増やすこと、中小企業への発注単価を下げること、で利益を増やし、その利益で、配当金や役員報酬を増やした、というからくりだということ。

そんな非正規雇用者たちは、商品が売れなくなれば、いつだってポイだ。

いまの大量首切りってのは、一部の高所得者の報酬を維持するがために、弱者が犠牲になっている。USAなんてさらに格差が恐ろしく顕著だ。
夫いわく、「昔は、景気が悪くなると、貴族が自ら負担したのだ」。
それって、いつの、どこの、昔だ~、と笑いつつ、
「自分の所得の90%を寄付するぐらいでないとね。90%ではないが、ビルゲイツは偉い」
「やはり高所得者の累進課税を強くして、彼らの納税を景気対策に投資しないと」という結論になる。
消費税アップは一見平等に見えて、実に不平等なシステムになるだけだ。

さて、自分の所属する会社で考えてみると、ちょっと違った理不尽さがある。
今自分のいる部門は、非正規雇用どころか、5年前の半分の人数で同じ仕事をこなしている。忙殺というより、混沌としてめちゃくちゃといったほうがいい。もちろん会社の業績があがらない。そういうヒーヒー言ってるときに限って、会社は、管理職以上の上の人間ばかりヘッドハンティングしてくる。
もちろん、部門の種類によっては即戦力になるのだろうが、自分の部門においては、ヘッドハンターにどんなに優秀と判断されようと、まず「使えない」。自社製品とサービスと顧客の嗜好、これを理解するだけで、2年はかかる。
しかも、ワーキングレベルの仕事ができない、電話も出ない(出れない)じゃお話にならない。
こんな小さい組織にそんなに管理職がいるのか。
でも役員にとって、英語とプレゼンテーションに堪能な部下(=管理職)を入れて、楽したいのだと思う。
管理職一人いれるなら、平社員二人入れてください。という状況。どんなに生産的な仕事ができるだろうにと思う。
しかも、利益が出ない!と、マージンのことばかり厳しく言われる。結局、下請けをたたく。

自分のいる会社には、日本の社会が凝縮されてる。
財務諸表を見せてくれ。

英会話教室はアウトプットの場所

この歳になって、英会話を始めた(笑)。
とかいって本当のこというと、これまで、会社でのプライベートレッスン(無料)を3期受けたことがある。4月になると、NHKの英会話のテキストもよく購入した。
でも、知った者同士の3,4人のプライベートレッスンなんて、ほとんどが雑談で何のスキルも向上しない。
じゃあ今年はNHKで、と決意しても、5月以降続いたことがない。
欧米コンプレックス塊の自分は、ますます貝になる。

まあこんなもんだとずっと諦めていたが、いろいろあって、思い切って、自分のお金を捻出して英会話をスタートすることにしたのだ。
これが思いのほか楽しい。何故ならマンツーマン。
あっちは商売だから、先生なのに紳士的にふるまい、何でもほめて気持ちよくさせてくれる。
旦那曰く、先生もいちいち指名するとは、キャバクラみたいなもんだって。

だから楽しいだけで漫然と回数だけはこなしていくと、今度は話せない自分にいらいらいがつのってくるようになった。

いわば、英会話教室は、自分の出来なさを実感する場所。自分のウィークポイントを大きく認識する場所。
自分にとっての本当のトレーニングは、あくまで教室以外で勉強しているときなんじゃないかと。
つまり英会話教室は単に自分の力を試す場所。アウトプットの場所。
それに気づいて、ムンクの叫び状態になる。

仕事→仕事→英会話→仕事→英会話→英会話→仕事
時間のねん出、お金のねん出、迫りつつある海外出張に悲鳴上げながら、
いや~、絶対うまくなってやるから!。と根拠のない自信の裏付けは、はたいた大枚。
そのうち、このブログは英文に変わる、いや、そんなことは絶対にないけど。

やがては「自立が大事」に変わる

久々の更新。しかもNew PCにて。IEがさくさく動く、快適。

小学校以来の長きにわたるつきあいの友人に久々あった。
彼女は保守的な女性で、大学時代以降は合コンに力を入れ、収入があってステータスのある男性をいかにゲットするかに注力していた。合コンしすぎて、とある日の合コンで、「そういえば、先日、別の合コンで会いましたね」なんて言われちゃったこともあるそうだ。
そのエネルギーには、引くものがあったものの、しかし、最後は歯科医をゲットし、超一流ホテルにて結婚式をあげたときには、あっぱれ!夢はかなうのね、と感心したものだ。

そんな彼女に先日久々会ったら、家業のお手伝いは辞め、今現在仕事を探していると言う。
ちょっと驚いたが、いろいろと問題があったらしい。
そして、言うのだ。
「やっぱりね、自立が大事。自分で稼がなくちゃだめ」

彼女の口からそんな言葉が聞けるとは夢にも思わなかった。
男性のために女は尽くして当たり前、そして、そのかわり、多大なる経済的な見返りを求めて当たり前という感じだったから。
しかし彼女は、どこの家にも見られるような、嫁がらみのいろいろな確執やら何やらにもまれ、義親や小姑たちからのプレッシャーに、考えが変わってきたようだ。
とはいっても、外で働かないブランクが長いと、就職活動も思うようにはいかず、あせるようだ。

「自立が大事」そんなこと、自分はとうの昔から当たり前のことと思ってきたからこそ、今、この期に及んで気づき、そしてあせっている姿に歯がゆさを感じる。
でも彼女は新たなドアを開けようとしているから、その「気づき」は、人生の大切なきっかけであることには間違いない。きっといい方に行く、と励ましつつ、でも、世の中はそう簡単にはドアを開けてくれない現実が彼女を押しつぶしそうにしているのをみて、この社会をどうしたらいいものかと考えこんでしまう。

旦那さんには、早く帰ってもらうしかないのです!

来月海外出張に行くのだが、そしたらそのことを知った他の部の子持ちの母さんが、
「子供はどうするんですか」
とびっくりする。
なんだ、それ。私が遅くまで残業してること知ってるのか?と思いつつ

「え。旦那が見るけど。」
「ええええー!旦那さんは仕事を早く終えて帰られるんですか?」
「早く帰れるんじゃなくて、早く帰ってもらうのよ!」
「ええええー・・・」
「旦那に子供任せて、友達と旅行にも普通に行っちゃうしなあ」
「ええええー」(目が点状態)


どうでもいいのだが、人それぞれ、価値観もライフスタイルも違うのだから、いちいちびっくりしてはならない。
そばにいた子持ちの男性も「そりゃひでえな」とぼやく。
なんのなんの~♪ご心配いりません。
社蓄にしようとする妻の方がよっぽどひどえ、っすよ。

”男は早く帰れない”、と思い込む人がなぜこんなに多いのだろう。まずは、自分の会社を見渡してみればよくわかるじゃないか。大した仕事もしてないのに、遅くまで無駄に残業してる輩が少なくないってこと。
本当に必要とされてるのは一部のエリートだけだしな、現実は・・・。そういう人には専業主婦がいるものだ。ついでに言うと、子供もたくさんいたりする。(最近ヘッドハンティングされてきた男性が、1人は50代で子供が5人、もう1人は30代なのに子供が3人と聞いて、なるほどなー、と思ったり)

嫁の仕事と立場と・・・

身内の不幸があり、ここのところ長男の嫁を演じっぱなしだった。
演じてるってのは、やっぱり根っからはやっていない、ということで、無理してるってことである。

しばらく滞在した夫の実家では料理を作ったり、茶出したり、片付けしたり。自宅に帰って掃除して、洗濯して、夫の荷物を持って帰ってきて、そんで、実家ではまた飯作ったり、洗濯したり、深夜遅くまで酒飲んで故人を偲んだり・・・。
葬式ってのは、また男の人たちが仕切りたがるというか、男の人たちで自分の仕事とばかりテンパって囲いたがる。はたからみてると何だか滑稽だが、自分の出番は無いわけで、結局家事ぐらいしかやることがなくなる。

なにかお役に立ちたい、という気持ちで何でもしてあげたいというのはあるのだけれど、一方で、嫁ならここまでやって当たり前、みたいな風に思われてるんじゃないかという疑心暗鬼さで、微妙な気持ちになる。
余計なこと考えてもしょうがないのだが。

しかも、ここまで嫁仕事をした上に、通夜、葬式、その後も、車を運転できる自分としては、ずっと酒を控え、代わりに夫に酒席を譲った。
それがまた、ストレスになる、・・・(小声)ということはともかく、自分にしちゃあ随分がんばったなと。自分を褒めてあげたい。
ともあれ、天国への旅立ちに際し、しっかり見送ることができたことは、自負できるわけで。


さてさて供花への私たち夫婦の連名はどうしたか?興味深い人も多いかもしれない。
夫の強いリコメンドを拒否して、私は自分の姓はつけなかった。
夫のフルネームのとなりに、姓の無い私。
まあ普段親戚には年賀状にしても別姓で通しているわけだけれど、供花で夫婦別姓をするのは面倒臭くなってしまったのが、正直なところだ。
もっと正直に自己分析すると、長男の嫁で気張ってしまったのか、つまるところは自分かわいさってところだろう。
考えてみれば、保育関係になると、敢えて夫の姓=通称、で通すパターンは多いし、旅行に行けば、どちらかの姓で統一してきているし、それ自体ストレスは無い。
まああの家なら、別姓で供花を飾っておこうが、どってこともないので、次の時は別姓にしようかと思ったりもしている(次の時・・・って縁起でもないのだが。)

個人情報保護法

子供宛のDMがくることがある。
おもにベネッセ。
今日はまた知らない会社からのランドセルのDM。

どこから情報を入手したのだろう。
ずっとそう思っていたにもかかわらず、放置してきたが、今日はとっても時間に余裕があった。
”今後のDM送付を停止してほしいひとは、このフリーダイヤルへ”という案内があるので、電話してみる。
まずはランドセルの会社。
・・・なんだぁ、自動音声に従って、だ。
しっかも面倒くさい、いちいち、「はい」だの「いいえ」だの、機械相手に口で言わないといけない。
とりあえず、数分かかってようやく、自分の情報は消してもらえたようだが、私の個人情報をどこから入手したのか相手が自動音声だから聞くこともできない。

次にベネッセ。
・・・おお、人間が電話に出た。
スムーズにDM送付停止手続きが済んだので、
「あの~、私の個人情報はどこで入手したんでしょうか」
と聞いてみる。
よくある質問なのでしょう、すぐ回答。
でも無知な自分は、その回答にとてもびっくりしてしまった。
「主には、役所で住民基本台帳を閲覧させていただいてます」

ちょっとショックを受けてしまった。役所がぁ・・・・?。
でもまだ住民基本台帳なら良心的な方なのだろうな。しかも19時半というのに、自動音声でなく、人間がまともに対応してる。

個人情報保護法は結構不便なもので、自分の会社の人事に、社員の住所を聞いても教えてくれなかったり、保育園で住所名簿を発行してくれなったり、自分個人としては、なんだそりゃ、と思うことがいっぱいある。
けど、役所はDMのために意外に簡単に住民基本台帳を閲覧させ(法的拘束力はないので)、ウザイDMだけは届き続ける、というチグハグさ。
いやだいやだ・・・

お家のモンダイ2

前回に続く

というわけで、また呼び出しを食らってしまう。
要は、「おまえらは今後の人生プランがどうなっているのじゃ?」と質問されるのである。
まあ、かくかくしかじか、こういうことで、もう今住んでいるところに根付いてしまってるんで、あっちに移る気はございません。
もし、同居が必要になれば、こちらの狭いおうちでよければ、一緒にどうぞ、と思ってますよ、という風に答える(夫が)。

どうももう手付金も払ってしまったようだし、両親の気持ちはあのマンションに固まっているらしい。だからいずれはあそこに私たちに住んでほしいようなのだ。

一番下の妹には、すでに二世帯住宅建築にあたりほとんどの資金を投入済みである。んで、●●町にある不動産は毎月いくらかの家賃収入があって、それは上の妹に相続するつもりである。だから、このマンションは夫にやる。・・・ということにしたいらしい。
とにかく、夫の父も母も相当資産があるのか、どう相続するのが一番税金を取られないか、色々考えているようだ。一番下の妹の二世帯住宅も年々少しずつ名義の率が親から子に代わって言ってるようだし、、私にはチンプンカンプンだ。
義母は、息子の名義で、いろんなところの株主になってるらしく、いろんなお会社からよく郵便がたくさん届く。捨てようとすると、「母に送るから」と怒られる。どうせ、彼のものになるんだろうが・・・
財産がある、というのは色々大変らしい。義父の兄弟はこれで仲たがいしたらしいし。
私の実家とは大違いだな。

生生しい金の話を目の前でされ、ちょっとうんざりしてくる。

「俺たち3人兄弟は今しっかり自立しているし、自立させるために親にはさんざん投資してもらったのだから、もうこれ以上はいいと思ってます。」
と夫。(あ~、オマエ自立してたんだ、と心の中で突っ込みをいれる。)
そして、
「まあ自分の仕事は、今後はワーカーが減っていくので、定年後もやっていける仕事だし」
といって、自分の仕事の話を始める。安泰だ、ということを強調したいらしい。
すると、とつぜん、義父は私に話しをふり
「レイさんは、今の会社は長いの?」
と聞かれたので、今の会社は3社目だが、今が一番長いことを話して、自分の会社は解雇が多いのでいつクビになるかわかんねー、と答える。
「いや~、えらいですね。長く続けるというだけで、えらいですね」
・・・・夫なんて新卒後、ずっといまの会社だし、義父こそ、退職するまでずっとひとつの会社だった。
「長いからえらい」ってなんなのさ・・。他に誉めるところがないから、それを誉めるしかないのか・・・。

そこで追い討ちをかけるように夫が言う。
「妻は、ヒラ志向ですから。会社でもよく同僚に聞かれるんだけど、そういってるんだ」

・・・カチーン!。
管理職にはなりたくない、とはよく言ってますけどね。こういう話の流れでヒラ志向とは、たいしたタマだ。


「まああのマンションはうちら兄弟で投資してもいいわけだし」・・と、あくまで居住するつもりのない夫が、そういう風に親に諭してみたりする。
てかさ~、ふだん、知人とのお話の中で、「俺は相続放棄する」とかいっちゃって、オマエは若の花か?みたいな言動をしてるくせに、やっぱり親との会話の中ではしっかり相続する気になってるようである。
まあそんなことはどうでもいい。内縁の妻は相続しませんから。

そんな疲れた帰路、車の中で
「あのさ~、家買うとかいって、頭金とかいくら出すつもりなのかな」
「ヒラ志向って、なんなの、あの言い方」
久々、ぶちきれてしまうのであった。
首都高で、車は思いっきり、乱れた走り方をし、夫はあわてるのであった。

・・つづく(ことはもうないかも)

家族という幻想

キッチン用品メーカーに勤めている自分として、もういい加減うんざりするのが、いつまでも家族という幻想にしがみついてキャッチフレーズやら、カタログの紙面作りをしている現状だ。
別に自分の会社に限ったことではない。他社もそうだし、不動産の広告だって、そうじゃないの?

”今度のカタログは、もっとライフスタイルを大きく打ち出そう”。
そうなったとき、なんだか知らないけど、小さな子供がいて、お父さんがいて、お母さんが手作りの料理を作ってるシーンをコンセプトにしてしまうのだな。
・・・実に陳腐です。
(いや、別に、お母さんがご飯作ってることがイカンといってるわけではないよ。)

ここで100人に質問したとします。「家族で毎日夕飯食べてる人、何人いますか?」
・・・かなり少ないんじゃないか。
我が家なんて、頑張ってみたけど、三人そろうことはあまり無い。たまに3人そろえば「じゃあ飲みにいこーぜ!!」となります。
周り見渡してみても・・、独身だったり、家族はいても遅くまで残業してる人とか、パラサイトして各自バラバラで個食だったり。

自分の会社の顧客が老齢化してきており、何とか若い顧客を獲得しよう、と努力しているのであるが、こんな家族の幻想をカタログで見せられても肝心の若いひとがピンとくるのかどうか・・。

数字を見てみれば、30代前半の女性の未婚率は確か30%近くまできていて、30歳代前半男性の未婚率については、40%超えてるいる。都内になるともっと多い。
家族、世帯のあり方はいま多様化しているのだ。
こんな状況で、”家族”の温かさを大きく訴求したところで、誰がピンと来るのだろうか。
むしろ、個食化している現状、どうキッチン用品を役立てるか。レンジ用品かもしれないし、簡単に作れる調理道具かもしれない。そう考えるほうがいいのに。
だいたい、「家族幻想」を訴求して、必死で仕事をしているひとたちに限って、家族と暮らしていない。
(だからこそ、幻想できるのかも。)

社会学の常識では家族はとっくに解体しているのに、どうも企業がそれに追っつかないのは情けない。(反省)

学童保育マル秘プラン

認証型保育所OBの親子で集まる機会(要は飲み会)にて、学童保育の話になる。
というのも、ある親が、その保育園に交渉したらしく、OB限定割引価格での学童保育スペシャルマル秘プラン」というのを、A4一枚にわかりやすくまとめて、みんなに配ったのである。
「市の学童保育とそんなに値段が変わらないのよ」。

「へえ~、じゃあこっちにしようかな」
さすが、民間だ!と、みな検討し始める。
確かに、学校の学童保育は、18時までなのだ。それじゃあ、その後ファミリーサポートで預かってもらうとか何らかのリレー保育が必要となる。どう考えたって、都内からの18時のお迎えは無理だし。
来年からは、まあちっとはマジに仕事しようかなと思ってる自分としては最大21時まで預かってもらえるところは心の余裕が違う。

まあわが夫的なせりふで言うと「さすがサラリーマン!」(夫はサラリーマン崇拝主義者)。交渉してきて、それをしっかり告知する親は優秀である。
金額は確かに安い。そりゃ乳児の頃と違って、自分でトイレに行くしご飯は食べるし、一人で遊べるし、手間はかからないけれど。
保育園とて多少客単価下がろうと、より多くの顧客を獲得したほうがいいのは違いない。
その認証保育所の保育士の優秀さは、公立保育園の保育士と比較しても、全く遜色無し、むしろ、温かいまなざしで癒してくれるところは大きな優位性ですらある。正直、親も安心て本当にありがたい話で、その保育園にも、交渉してきてくれた親にも、感謝感謝なのだ。

でもいつもひっかかる点がある。
この認証保育所は多くをパート社員でまわしていて、園長の常日頃の文書を読む限り、公立園の保育士と比べて大変低いサラリーなのだそうだ。
労働時間もその日その日で不安定。(親が迎えに遅れてきても公立みたいに思いっきり嫌な顔ひとつせず。)
そうやって、働く母親を、保育産業に従事する人が低サラリーで支える、ということが続けば、”女々格差”は拡大していく。(まあ、働く父親も、支えられてるわけですが。)
しかも、保育士の質は遜色ないのに、賃金だけは公立との差が拡大していく。

悩ましい現実。
でも救いは、そこの保育士さんたちは、公立職員よりも楽しそうに仕事をしているように見える、ということかもしれない。私の子供が初めて入所したころは、ずいぶん人が代わるよな~(辞めたり入ったり)、と思ったけれど、今は、定着して長く勤めている人が多くなった。
世の中は銭だけでもないのかな・・・。
(なんてえらそうに書いてる自分自身が嫌になったり。)