共同合宿所 -5ページ目

口座開設

息子のお年玉などの小遣いがたまったので、某銀行にて彼の銀行口座を作ることになった。

私が代理人として、自分の名前も含め、書類に書き込んでいく。
窓口の女性に、
「身分証明書を提出ください」
といわれ、彼の健康保険証を見せる。そして、私の身分証明書も見せる。

突然、窓口の女性が、
「姓が違う人は、代理人になれないんですが・・・」

はぁ~?
だって親なのに。

「健康保険証、よく見てください。被保険者が私の名前になってるでしょ」
ムっとして答える。

「ちょっとお待ちください。確認してまいります」

ちょっとというか、しばらく待って、無事口座を作れることになった。

休日の代々木公園

アースディのボランティアで代々木公園に久々いってきたのだが、大人が自由奔放に遊んでいる姿に、軽くカルチャーショック(いい意味で)。
スケボーで遊んでいるのは、きわめてノーマル、太鼓叩いているのも、まあ普通。
大道芸人同好会ってなかんで、小道具使って芸の練習している軍団。おお!
木にロープ張って、ロープの上を歩く人たち。なんだこりゃ・・・?
大縄跳びで遊ぶ大人・・・。→子供だけがするもんだと思ってた。

考えてみれば私の近所の公園の休日の姿は、ファミリー層が楽しく遊ぶさまがほとんど。芝生の上でバトミントンしたり、お弁当食べたり。
都会って違うじゃん。と同じボランティア仲間と感嘆。ライフスタイルも多様なのだ。と改めて認識。

おひとりさまの老後

いまさらながら「おひとりさまの老後」(上野千鶴子著)を読む。「おひとりさま」という卓越したネーミングのせいだろうか、いまだ本屋のよい場所に積んであったりするヒットセラーらしい。内容的には、通勤の行き帰りで読める軽~い本だ。

私自身にとっては、一人になることを恐れる必要はない、という勇気を与えられただけで十分価値ある本だったように思う。
独身、孤独死・・人はなぜ、一人になることをそんなに恐れるのだろう。私なんかは、世間の洗脳、陰謀じゃないかと思うけど。
たとえパートナーがいようとも、相手は先に死ぬかもしれないし、そもそも、生きて別れてしまう可能性だってある。子供は当てにならない。(というか家を出ていってくれればその自立を喜びたい。)結局、独身でいようと、結婚してようと、いづれは「おひとりさま」になる。上野のよく言う、生涯独身であっても、まわりがいずれは未亡人になって、結局は同じ状態、つまり「周回遅れのランナー」状態となるわけである。

そうなったときに、いかに「一人の時間」を楽しめる精神的に成熟した人間になれるのか。
上野いわく、友人といった資産は重要である。かといって程よい距離で。個室と一人の時間を重視しつつ、ときどきお友達。
どんな住宅に住み、どんな施設を選ぶか(もちろん、お金という資産がある程度必要なものの)。
そして、どんなケアを受けるか。介護を受ける十か条。いかに気持ちよくしてもらえるか要求していく重要性を説く。

アマゾンの読者レビューを見ると、意外に不評だ。結局は、どうせ、上野には、お金や友人など資産があるからね、という冷ややかな見方が多い。要は強者であると。あと上野の男性遍歴自慢に(あんなの自慢のうちにも入らないっつーの)辟易してる人など。
この経済状況や、福祉への絶対的不安など、悲観的な面が先にきてしまう。これが現実か。金どころか、上野氏のような人脈もない。が、しかし、だからといって、おひとりさまはお金や友人がなくたって、やっていけるんじゃないか。家族にぶらさがることをあたりまえと思っていた人にとっては、一人の老後はなおさら恐怖なのか。
誰にも後ろ指差されずに、一人であることに胸張って生きていきたいものだが。

特に気に入ったのは、「歳取ったら、男とか女とかいうジェンダーは脱いでしまえばいい」。歳とってまで、男を立てる、とか、そんなジェンダー規範まで気にして生きる必要はないと。
そんな楽な日が来るか、と思う自分はジェンダーに苦しめられているのだな、とあらためて実感し、歳を老いていくことが楽しみになる次第である。

超びっくりだよ~

今日は超びっくりな日でした(日記みたい・・、ていうか日記です)。

まず、同窓会でした。比較的小中高と、昔の友達とはつきあいのあるのだが、別のグループのの同窓会で。
高校卒業以来の会ってないお友達にたくさん会い・・・男性ばかりの飲み会だと、最初は誰が誰かわからない人もいるもんで、超びっくり、微妙でしたが(お互い様)、大人になるんだなあと(お互い様ですが)、好印象です。
その中で、高校時代、私の友人とつきあってた結構かっこよかった人が、当時の面影もなかったするわけですが(笑)、なんと自分の勤務地の近くにいて、彼は私を何度かみかけたけど、声をかけなかったという(要はシカトですね)。でも今度は昼飯食べましょうね、ということになり、高校時代はあまりしゃべらなかったけど、今こうして話せることは面白いなあ、と思ったりするわけです。
そんな中、「名前が変わったの」と聞かれることはありきたりですが、ウザイです。

さてさて、もっとびっくりなのは、帰りの電車。
「○○さん」
隣でかなりか細い声がしました。○○は、かすかに旦那性。
そこで振り向いたら・・・!なんと保育園仲間のお父さんです。
一緒に泊まりでキャンプにいったこともあり、飲み会もあり、なかなかナイスガイです。
私は保育園仲間の保護者からは、○○クンママとしか呼ばれたことがないもので、姓で呼ばれたことに超ビックリ。でも実は・・・・・正直、嬉しかったです。
というか、事実婚やってるので、人生旦那姓で呼ばれることは、保育園で先生から呼ばれたり、旦那が手配した旅館に泊まったときに呼ばれるぐらいで、非常に儀礼的な場面でしかない。
だから、本名ではなかったとはいえ、○○クンママではなかったし、姓で呼ばれること自体は嬉しいのです。
しかも、夜中、遅い時間に、しかとせず、声をかけてくれて嬉しいものです。
お母さんにはないデリカシーなのかな、と。
保育園の卒園式はご夫婦で参加なさると言ってました。今はお父さんも普通に参列するのが普通だそうです。

某有名人家族のスーパーな人生

なんとなく、某有名人家族を追ってネットサーフィン。(ネットサーフィンという言葉が死語?)。

その有名人家族とは、だいぶ前、私がお世話になった会社の女社長であり、有名雑誌社の社長の娘。夫は某偉大なアスリートでもあり、ビジネスでも頂点を極めた人。女社長の妹は某作家。特にスポーツ界の交流は強かったが、政界はもちろん、皇室まで...etc、つきあいは幅広い方であった。
女社長は相変わらず女社長だが、やや業務を狭めながらも、経営するお店は続けているようだ。目の付け所はお上品でニッチな市場である。そして○○協会関係でご活躍のよう。
妹は著作も多数、、。ふむふむ・・・なぬ、新しい歴史教科書を作る会のメンバー?。・・いろいろお声がかかるからなのか、某宮台真司にヘタレって言われないようにね。
娘はどうしたんだろう、と思い、ググると出てくる出てくる。当時は学生で顔立ちのきれいな大人しそうな感じだったが、今は某新聞社の記者をやっているらしい。運営するブログは、特筆すべき内容はないが、ランキング上位である。
ふーん、、、やっぱり、良いお家の出は、肩に力が入らずとも、自然に、何やっても人をひきつけるオーラを放つということか。皮肉ではなくて素直にそう思ってしまう。

息子の情報はあまりググっても出てこないが、当時もう一流企業のエリートだった。某タレントと噂になったこともあったっけ。
夫は、言うまでもないが、もう人間国宝級の人だから。Wikipediaで、妻の名前が間違って記載されていたので、差し出がましいと思いつつ修正する(てか、Wikipdia編集したのは生れて初めてだが・笑)。でも昨夏離婚の危機の記事が出たとか、はあ・・、まあどうでもいいことなのだが、ゴシップがある、ということは、それだけひとがたくさん集まるということだ。

・・・と、意味もなく1時間ちょっとググってみたのであった。
もう少し、当時、いい子にしてたら、この素晴らしい人脈にちょっとでも立ち入ることができたのかと今にして思ったりもする。
一見華やかに見える彼らだが、すべてが外から映るものだけが事実ではないだろう。当時、女社長宅の家政婦は、しばしば私のところに電話をしてきて、この人たちへの愚痴が絶えなかったものだ。お嬢様社長は美しい言葉を使う一方で、裏は結構どぎついものだった。
このお家の人たちは、揃いも揃って、なんでこんなスーパーな人生を歩んでいるんだ、とため息交じりに感嘆しつつ、いや、地道が一番、今日も一日頑張ろう、と思いなおして、検索を終了する。

「誰が食わせてると思ってるんだよ」・・なんて

会社を出たら雨。夕方から雨が降ると保育園のお迎えが大変だ。
最寄の駅についたら、いつもはそのまま自転車で保育園まで直行だが、本降りだったので、まずはいったん自転車で家に帰って、車で迎えに行く。駅からタクシーというのもありだが、たいがい、夕方から降りだした場合は、タクシーが大行列。
だから家経由で車でお迎え。なのでピックアップ時間がちょっと遅れてしまいがちだ。
今日もギリギリのタイミングのところで必死にチャリで走り、そして車に乗れば運悪く信号ばかりにひっかかり、そして狭い駐車場に注意しながら入れるわけだ。

「すいません遅くなりました!」
慌てて職員室に入っていくと、タイムリミット5分過ぎてた。
受話器をもった保育士が、私に気づき、受話器をおろして迷惑そうな顔で言う。「今、お父さんとお母さん両方に電話したところなんですよね!必ず電話いただけますかっ?!」

ずいぶんトゲがある。
確かに今日は連絡しなかった。できなかった。
しかし、たかだか5分遅れじゃないか。しかも雨。わかるでしょうが。自分はずぶぬれになって、保育園に迎えにいった。電話をしなかったのは悪かったが、こっちの必死な状況もわかってほしい。
もう少々優しく「すいませんね~、電話くださいねぇ~」と言ってくれる保育士は他に何人もいるのだが。

思うに、公務員は自分の時間を守ることにいつだって必死だ。親が遅れると困る、というのは本当に子供のためを思って言っているのだろうか。違うでしょう。子供のためを思ったら、お迎えがすむまで夕飯の買い物はするな、とか言うわけない。どう考えたって保育士自信の自分の帰りが遅くなるからでしょう。
もちろん、時間を守ること自体は立派だと思う。世の中「しょうがない」で流されてばかりではいけないし、世の中は自分で変えていかないと、だ。でも結局守られているのは公務員だけだ。

まあ自分の場合、車を所有し、運転ができるから、まだいい方なのかもしれない。車を持っていなければ、延々タクシーを待つか、傘さして自転車漕いでいくか。渋滞の中、バスでいくか。もっと大変なのだ。
駅から遠い、過疎ってる場所に保育園が立地しているっていうのはどんなに不便なのか、この人たちは本当にわかっているんだろうか。

こんなことは言いたくないが、私が嫌う、夫の口癖を心の中で叫んでしまった。
「おまいら、いったい、誰が食わせてると思ってんだよ」

馴れとは恐ろしいもので。

馴れとは恐ろしい。
保育園の親子関係で、飲み会や宿泊のスキーイベントなど、頻繁に行う今日この頃、
すっかり、「○○君ママ」と呼ばれることに、平気になってしまった。
子供からも呼ばれるが、親同士もそう呼びあうようになってしまう。
気が付いたら、自分の携帯の中に登録している名前も「○△パパ」「○○ちゃんママ」とか平気で入力するようになってしまった。
あまりに件数が多くて、「ええい、名前確認するのも面倒くせぇ!」ってな具合。
もちろん、親しくなった人は名前で呼ぶようにしているものの。

まあ正直言って、それだけの付き合いではないかと思う。
子供同士が一緒にいてとても楽しんでくれて、親はもろもろ情報交換が出来る、それ以上でもそれ以下でもなく。
兼ねてより親しくしている友人との関係とはほど遠い。

自分が自分でないみたい。だれだれのお母さん、というイヤだな、という感覚は、日常の中で、繰り返され、そして、流されて、「まあいっか」になっていく。
そして、「まあそれが”普通”だよね」になって、再生産されていくのかもしれない。
ちなみに、結婚改姓なんていうのも、最初は違和感や面倒くさい気持ちがあった人も、もしかして、そうなっていくのかもしれない、なんて思ってしまう。

しかし、ひとつ、この私が○○君ママを受け入れてしまっている背景には、それが非対称ではないからかな、と。
やっぱり男も「○○君パパ」って呼ばれているから。単純だな。
でもやっぱり本質的には嫌なものは嫌だけれど。

やがては「自立が大事」に変わる 【その2】

さて、やがては「自立が大事」に変わる で書いたが、男性に尽くして当たり前の主婦が、自立が大事、と言い始めたということにちょっとした驚きがあった自分だ。
その彼女は、わりと直後に派遣での就職が決まった。家族の経営する歯科を手伝っていたとはいえ、外でのお仕事は10年程ブランクがあったわけだから、ラッキーだと思う。今のワーキングプアの現状をみても、ブランクは致命傷だから。もっとも歯科助手と医療事務をしていた、と言えば、キャリアがないわけではないので、履歴書上のブランクは無いけれど・・。
しかし、久々の仕事は思うようにはいかない。歯科を飛び出しての仕事だから夫及び夫家との対立もある。今度は従来とはまた違った別のストレスで押しつぶされそうになっているのだ。
「自分のような要領の悪い人間は、社会に不適応」、と嘆き、もう仕事はやめようかな、と言っているのだ。

まあ正直言うと、想定内である。彼女自身は想定外だったかもしれないけれど、少なくとも彼女の話を聞いた、外側の人間としては、容易に想定できることで。
どんなポジションであろうと、仕事の仕方なんて日進月歩してる。正直言えば、事務が10年ぶりの派遣が来れば、同僚としても少々不安になる。
しかし一方で、PCスキル含めて、こちらが教えてあげるれば、十分習得してもらえる自信はある。
だから、ネガティブにならず、すぐ結果をあせらずにいくしかないと思う。雇い続けてくれる間は、働き続ければいい。
何事も順風満帆に行くわけがない。陳腐な言い方をすれば、働くことはそう甘くはない。でも今を乗り越えればあとは楽になる。(今の自分自身の状況にあてはめても同じだな、と自分を慰めたりして。)

しかし、「自分は社会に不適応」とまで思わせてしまう社会ってなんなんだろう、と思う。社会の中のごく一部でしかないところでの価値観が、まるで普遍的なものと思わせてしまう。
また、仕事をする上で、足かせとなってしまう夫や、その家族の存在とはいかがなものなのか。

とはいえ、足かせが自立のきっかけとなるのなら、悪いものではない。何事もいいように考えて活路を開くしかない。

親子なの?と聞かれ

先週、近所の美容院に行ってきた。
つうのも、いつも、都内の某所に通っていたのだが、そこの先生の奥さんと娘と元従業員で新しく美容院を私の近所にオープンしたからなのだ。
行ってみて、びっくり。私の住む街には似つかわしくないくらい、素敵な内装の美容院で、おしゃれなカフェみたいな感じ!。なお、スタッフはもうよく知っている人たちだし、キッズスペース完備ということでと子連れでの登場。
というわけで息子も美容院初体験。(いつもはスーパー銭湯の床屋ですが)。
「カルテ作るので、ここに名前を書いてください。息子さんの名前も・・・」

提出してちょっとすると、店長さんが
「あれ・・・親子?ほんとの子供なの・・」
と慌てて聞いてきた。。
息子と私は姓が違うからか。
「あ・・・そうです。うちは事実婚なんですよ!」
「そうなんだ~、 別・・ああ、夫婦別姓・・・ってやつですね」
というやりとりのあとに、私の息子と知って、少々安心した模様である(???)。

確かに一般人に疑問は当然である。
そして、遠慮なく、直球で聞いてきてくれたことに嬉しく感じた。

息子の髪型はスーパーかっこよくしてくれた。
そして、私は、いつも都内某所でお世話になっている先生の娘さんに切ってもらった。
頑張ってる姿は見ていてすがすがしいなあ。
今度はまた都内の方にいって、娘さんのご活躍をご報告してこよう、なんて思っていたら、
今日、その近所の美容室から葉書が届いた。また息子と来てくれ、と書いてある。
うーん、今度はどっちに行こうか、迷ってしまうなあ。

New year resolution 

気がつくと、このブログも4年目になるのだ。年月だけはずいぶん長いことやってるな、と驚く。
英語ブログも始めたので、こっちにウェートを置こうかと思いつつ、そんなことは言い訳になるわけでもなく、どちらにもウェートが置けてない。

昨年より、仕事が忙しくなり、新聞もまともに読めなくなってきた。物理的に読めないというより、それにかこつけて新聞を読むことすらサボるようになってきた。ブログ更新もご近所さん(ブログ)回りも休みがちになる。

仕事ばかりしてると人間アホになる。・・ってのを痛感したのが「英会話」だ。

昨年秋より英会話を始めてから、自分の主張というものがいかに重要であるか痛感するようになった。社会情勢や自分の趣味やもろもろのことを主張できないと、なんかオレってつまんねー人間だな、とつくづく落ち込むのである。これは英会話力の問題ではなくて、人間の中身の問題なのである。
なにしろ、レッスンでオバマとマケインの戯画を見せられて、マケイン氏がわからなかった自分だ(爆。ちなみに戯画のことをcaricatureって言います。)
もちろん、どの先生を選択するか、にはよるけれども、おおかた社会情勢についての意見は必須。いまさらながら、新聞と、英字新聞のチェックと、読書と、ご近所さんブログでの主張チェック、たまに映画(映画も英会話の共通言語なのだ)などが、欠かせなくなった。
それであらためて、自分のブログを4年間見直してみると、「へえ!そうなんだ!」とあらためて感心したりする。これは自画自賛ではなくて、すっかり細かい記述を忘れていた、ということなのだ。自分の物忘れっぷりはひどい。

最低、英語でジェンダーのことぐらいは話せるようになりたいものだ。
そうか、英語っていうのは、それ自体が最終目的になってはいけなくて、自分の興味関心のあることを話したり、文献を調べたりするときの”ツール”にならないといけないのだな、と最近気がついてきた。興味関心のあること、というと、私はそんなに好きではないけれど、「映画」だって同じじゃなかろうか。吹き替えも字幕もいいけれど、やっぱり耳で聞き取れたらいいだろうし。

そんなわけで時間捻出して英会話学校へ通い、そして、それ以上に、家での勉強の時間をあてている。飽きっぽい自分がいつまで続くかわからないけど、今年の年初の目標は、「英語のツール化」である。
ちなみに年初目標は、New year resolution っていうそうです。(・・なんでも受け売り)。

そのうえ、休日出勤もあって、何気にハードな日々なのだが、いったい、いつ子育てしてるんだろうか、自分。