共同合宿所 -3ページ目

威厳

昨年末より、Wiiのニュースーパーマリオにハマって、世情から疎くなっていて、思考停止中の日々であった。

そんななか、先日知人宅パーティで、古典的なおじさまに会い、「父親の威厳というのが近頃軽視されている」という主張をうかがった。
まあ今更これを聞いても、テレビのコマーシャルをぼーっと見るように通り過ぎるような出来事でしかないぐらい感受性が鈍っているのだが、それでも威厳とは何だろうか、と久々首を捻ってみる。
それで、あ!そっか、そもそも威厳が無いから、威厳といい続けてきたのか、と膝を打つ。
威厳のある人間は威厳という言葉で飾らなくても立っているだけで威厳があるのだ。
ブスなのに美人と言い続けるようなことか。
ブスなのに美人と言い続けないといけないのはなぜ?洗脳か。
だけど、ブスはブスでしょ。見抜かれてる。現実。

近頃、学校の先生が尊敬されないよね、という話もする。父兄が子供の前で平気で悪口いうしね、と
。まあ、これだって、尊敬に値しない人間を無理に尊敬する必要はないし、生徒も見抜いているのだ。
自分だって自分の子供に教師の悪口も言わないし、先生のことは褒めてる。でも尊敬しろと強制する必要もない。

尊敬や威厳で、統制が取れてた時代はいい時代なのだなあ。

松ケンの魅力

「松ケンが好き」と言ったら、舞台とかやってるの?というリアクションを昨日もらった。
マツケンサンバでなくて、松山ケンイチなんだが・・・。

彼の魅力は、バラエティに出ているときに十分に堪能できる。
ふだんカメラの前で演じる役者が、なんでバラエティだとあんなに緊張してて落ち着きがないのか?素人っぽいのだ。
しゃべりも突拍子も無いというか、天然だ。
だけど、まるで計算してるかのような、司会の期待に添うようなボケ。
そして、青森弁丸出しの素朴さ。だって青森のこととても誇りに思ってるんだもの。
新聞配達をずっとしてきた父を「同じことを継続してきて尊敬する」という。
ピュアで不思議な魅力にあふれてる。

自分の母もちょっとのあいだ、新聞配達をしてることがあったけど、小さい頃の私はそれは人に言えることではなく、ちょっと恥ずかしいと思っていた人間だ。
自分の田舎は誇りに思わないし、なまりが出るのも恥ずかしいと思ってた。
だいたい、放浪していうとき青森の人から冷たい仕打ちをうけたことがあるので、青森なんて嫌いだ~って立場。

なんで見た目イマドキなのにあんなに素朴と天然さ丸出しなんだろう。
そこがかっこよすぎる。
当分彼から目が離せない。

風向きが変わる

例の法務大臣の発言以来、近頃、ニュース番組で夫婦別姓が扱われることが多くなってきたように思う。
さきほども日本テレビの23時からのニュースで5分ぐらいの短時間だったと思うが、要点を押さえており、非常に風向きが変わってきた感を感じる。

その内容とは
・まずは、千葉法相が来年国会に民法改正法案を提出するとの発言紹介。(これまで11回提出された法案は自民党に阻まれたとの背景説明)。
・問題は、子供の姓をどうするか。民主党案は、出生のたびに親が選べばいいとなっている。兄弟でバラバラの姓になる可能性があり、子供は混乱し、家族の一体感がなくなる、という懸念あり。
・姓についての歴史的背景。 源頼朝・北条政子のように昔は別姓だった。ただし、あくまで庶民は姓をもたなかった。姓をもち、同姓となったのは明治時代から、という夫婦同姓の歴史の浅さの説明。
・9つの先進国の中で、日本だけが同姓。ドイツはかつて同姓だったが13年前に別姓も選べるようになった。など、日本がいかに遅れているか説明。
・内閣府のアンケート調査の紹介。36%が別姓を支持し、35%が今は夫婦別姓の導入は必要ないと考えている。
・最後にコメンテーターの締め。「選択肢が増えることはよいことだと思う。逆に選択肢を増やない方がいいという反対派は、その理由を説明する必要がある。まあもっと議論が必要だ」

民主党が政権取るだけで、論調もだいぶ変わってくるように感じた。くどくどと事実婚夫婦の実践例など取材しなくていいから、短時間でこれだけ端的にまとめてもらえれば、世間にも浸透していくだろう。
別姓推進派は、反対派に対してムキにならず、余裕こいてればいいように感じる。
ただ、まあ民法改正であるので、夫婦別姓だけ独り歩きしてほしくないのだが。婚外子差別問題も扱ってほしいものだ。

ブロガーの浅さ

ブロガーとしてちょっと有名となった料理家のスピーチを聞く機会があった。
近頃は本もいくつも出し、企業と数件タイアップしているようで、結構もうけてる。
優雅だし、清楚な奥様風だし、何よりブログの写真はきれいだし。
でも、どう聞いても話が浅いのだ。

「きれいなキッチンで料理を作るのが夢でした。」

・・・だから何?原稿に目を落としながらのスピーチは100歩譲って良しとして、目を落としながら会場のお客様を褒めてるのもどうなんだか。

仕事柄、料理研究家や管理栄養士の話を聞くことは時々あるのだが、彼らから感じる感銘とは程遠い。
料理研究家も管理栄養士も、きちんとその道のことをしっかり修行してきているわけだ。ブロガーの場合、そういうプロと比べたら、ちょっとブログで流行っただけであって、現場での苦労もない。
そのくせ、契約でもしようものなら意外に多額の報酬を要求するから広報担当泣かせである。
今、旬のうちだけ利用されて、そして、使い捨てになってしまうよな~、このままじゃ。

何がいいたいかというと、しょせんはブログはブログでしかないってこと。
どんなに文章がうまくて、このネットな世界でライターとして開花させたいと思おうが、成功するのは一握りで、うまくいったとしたって、短期的であって、長期的な通用は難しいと思う。
政治時評書こうたって、所詮は素人。
読み手もそれをわかっているから、引き算して聞く。ちゃんとしたことを知りたいときは本を買う。それでいいのだと思う。

「子供は?」って大きなお世話

ちょっと前になるけれど、自分の田舎で中学校の同窓会があった。

ン十年ぶりの再会、・・・ってことはあまりに共通点が見いだせないことがあって(そもそも共通点なんて見出す必要はないんだが)、どうも挨拶がわりに「子供は?」なんて聞かれることが多く辟易したのだ。
これじゃ子供がいなかったり、結婚していない人には、なおさら迷惑、同窓会なんて行きたくなくなるんじゃないか。

ありえないだろ、産経社説

産経のあほくさな社説をみつけた。夫婦別姓 家族の絆を壊しかねない
ジャーナリズムとしていかがなものか。

●千葉法相は「(夫婦別姓が)これまで実現しなかったことが異常だ」とも述べた。<中略>「異常」の一言で片づけられる問題ではない。
→ 一言で片づけてないし。夫婦別姓が認められる国が世界にはフツーにいっぱいある中では、実現しないのは「異常」と言われても仕方ない。

●一時期、内閣府の調査で、夫婦別姓への法改正を容認する声が法改正を不要とする声を上回ったこともあるが、最近は、賛否が拮抗(きっこう)している。
→ ソースは?。

●親子の絆(きずな)を強めるには、やはり夫婦が同姓でいることが教育上、好ましいことは言うまでもない。
→ 教育上好ましくない根拠は?。

●夫婦別姓は民主党の政策集に掲げられていたが、マニフェスト(政権公約)から外された。
→ もともと政策集にあって、マニフェストには入ってない、よって、「外された」というのは適切な表現ではない。

●あえて夫婦別姓を導入しなくても、夫婦が家庭と仕事を両立させるための方策は、いくつも考えられる。
→「家庭と仕事の両立」という言葉はここでの文脈では全く正しくない。

● 自民党の谷垣禎一新総裁は就任後の会見で、夫婦別姓に慎重な姿勢を示した。野党として、夫婦別姓など鳩山内閣の行き過ぎた動きを正す責務がある。
→どう「行き過ぎ」ているんだろうか。確かに近頃の亀井氏は暴走しすぎかもしれないが。

社説とは個人の感想を何の根拠もなく書き綴るところなのだろうか?これじゃ個人ブログ以下ではないか。
もちろん、自分は夫婦別姓の法制化を切望している人間ではないけれど、この社説はなんなんだろ、と驚いてしまった次第。

1000円効果

シルバーウィークはどこもすごい人出で驚いた。

そんな我が家も車で遠出をした。我が家は交代で運転するので距離は結構稼ぐ。あてのない旅なので、結局白川郷まで足を延ばしてしまった。・・いや、あてがないから、ってのは正しくなくて、高速道路が1000円なので、足を延ばしたというのが正しい。
二酸化炭素を排出しまくっていてエコで無いんだなあという自戒も、英会話のオーストラリア人講師だけは、キャンプしたんだったら、チャラだろ、言ってくれた。
ともあれ、1000円効果により、渋滞をもたらしたが、どこの観光地も人でにぎわった。断念してルート変更したりもしたが(キャンプがなせる技)、隠れ家的秘湯の長野の小谷温泉はさすがに人は少なかったのでほっとし、また最終日の水曜日の帰りは意外に渋滞が少なくばらけたようで、わりと快適だった。いずれにしても1000円効果は経済効果となるだろう。渋滞を懸念し、結果、電車を利用して出掛けた人も多いという。

正直、今回思ったのは、民主党の公約である高速道路無料化も悪くない、ということだ。近頃の地方の賑わい方は従来と違うと思う。ちょっと渋滞はもたらすのはあるが、去年までとまるで違う。
地方がこれだけ近くなり経済効果が期待できる。
無料化はよくない、なんて言ってた自分も含めて、ちょっと日本人はひとが良すぎないか?と思ってしまう。本来、高速道路は減価償却したら無料化すべきものなのだ。それが収益をプールして次々に他の道路建設に使うというおかしなことになってしまった。高い自動車税やガソリン税を払っていながら、なおかつ高速道路代まで払うっておかしくないか。道路建設やETCにかかわる人たちの利権の巣窟になってるのも問題。
JRやフェリーの業績不振の問題はあるけれど、”本来無料化すべき有料道路”、という話とは別の次元であると思う。しかも新幹線などはその速さというメリットが多く享受できるので、ひたすら耐えて延々走らないといけない、飲酒もできない自家用車とは違う。

毎日が無料になればバラけて渋滞もそう多くならないだろうし、運送コストという面で様々な商品がコストダウンとなりマイカーを持たない人もメリットを享受できるようになる。
財源をマイカー族からまかない、そして、エコカーにシフトしていくなら、いいんじゃないか。

八ツ場ダム

民主党が先の選挙で歴史的な勝利をおさめてから、民衆がようやく関心のもてる政治話題として登場したのが、八ッ場ダムの件ではなかろうか。はっきりいって今までがお祭り騒ぎすぎた。
何しろ、一兆円規模の事業になりそうなことにクラクラする。事業内容の不透明性。どれだけ利権に群がる人がいるのか。
そして57年間の闘争だ。
ダム事業を中止を白紙に戻せ、といって反対する住民たちの報道を見ていて、振り回されまくる人生には同情するが、しかし、彼らはいったい過去に何のために反対してきたのかと思ってしまう。だが、どうも報道そのものがゆがめられてきているというかんじがする。その辺は、保坂展人のどこどこ日記や、ここからリンクしている、みんなの八ッ場 パーフェクトガイドなど読んでみると、あーなるほどと思う。
それで自分が以前書いた、なんで阿蘇の神話のオチがダムなの?http://ameblo.jp/jijitsukon/entry-10095994820.htmlを思い出してしまう。行政が子供のために作った民話集が、これから作ろうとする立野ダムの正当化に使われる。

あとはダム建設中止後、雇用の創出をどうするかだ。

しがみつかない生き方

香山リカの「しがみつかない生き方」を斜め読み、カフェでカプチーノ飲みながら1時間。以前から、可もなく不可もなく、と思っていたひとであるが、それは変わらず。
斜め読み、得意である。勝間和代の「断る力」も本屋で立ち読み、斜め読み。
そんな著者が勝間の「断る力」のことについて、『実際に”依頼”が来る人など少なく、むしろ、いまは断る力なんかより、依頼が無いことに耐える力が必要』と言うので吹いた。その通り。

確かに近頃私のまわりはみんな病んでいる。うつになったり、うつ寸前だったり。そこそこ幸せなのに、もっと幸せになりたくて、もっと成功したくて、それを実感できず、ささいなことに振り回されている感。
やっぱり、お金や、仕事や、恋愛や、いろんなことに、しがみつきすぎなのかもしれない。でも、獲得してみれば、それらは「ゴミ」でしかなかったりする。
先日、某仕事でとある人のサクセス講演を聞かねばならなかったが、あまりの手持無沙汰加減に、私は会場で妄想の世界に浸っていた。ひとにサクセスを説く人は、私にとっては気持ち悪い人以外の何物でもない。あなたが成功したのはあなたの努力ではなくて、単に運がよかっただけ。早く、それに気づけ!。
気づけ、といえば、「気づきの幸せ」by 木村藤子 を思い出す。最後は、ひとはスピリチュアルに走る。この本は、先日ブックオフに出そうと思ったのに、もう一回読んでしまった(苦笑)。

6/28日経の社説 婚外子差別放置と日本の「結婚」(チェンジ少子化)

日経の6/28の社説に、婚外子差別の問題を掲げ、「チェンジ少子化 日本の「結婚」は今のままでいいのか」、という記事が掲載されてたというので、慌てて片付けてあった新聞を引っ張り出す。

記事を要約すると、

欧米と比べ、日本は婚外子の割合が極端に低く(2%)、少子化問題を考えるとき、婚外子や結婚の多様化の問題を避けては通れない。
       ↓
婚外子が少ない一因は、嫡出子の1/2の相続差別があるからだ。相続差別はフィリピンと日本だけだ。
       ↓
相続差別は法の下の平等に反すると批判されてきており、法制審議会も1996年に規定を撤廃するよう答申を申し出た。しかし最高裁大法廷が合憲の判断を下し、答申はたなざらし。政治の怠慢である。
       ↓
欧米で婚外子が増えているのは法的差別がないだけでなく、スウェーデンのサムボやフランスのパクスなどの結婚とは別の形のカップルを法的に認める仕組みが生まれたからだ。
       ↓
婚外子の割合が増えたからと言って出生率が高まるとは必ずしもいえないが、フランスもスウェーデンも出生率は高い。
       ↓
一方、日本は、法制審が答申した「選択的夫婦別姓」の制度も実現していない。「家」を基本にした戦前の家族制度が影を落としている。06年の内閣府世論調査では、婚外子相続規定については41%が変えない方が良いと答えている。これが日本人の家族観、結婚。
       ↓
日本の結婚のあり方が少子化の一因となり出生率上昇の妨げになっているとすれば、障害を取り除く必要がある。婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。(要約おわり)



世界に悪名高い「婚外子差別」が今だに解消されないのは、政治の怠慢。これは正しい指摘。
サムボやパクスなどカップルのあり方の多様化を認めたことで、同棲婚中の出産が増え出生率に貢献する、というのも正しい指摘であろう。ただし、社説においては、「婚外子の割合が増えると出生率が高まる」という断定は避けたようであるが、これについては私のかねてからの持論の通り、肯定したい。
何より、婚外子の相続差別をなくさねば、という優先順位の付け方自体は素晴らしい。

しかし、「婚外子が少ない一因は、嫡出子の1/2の相続差別があるからだ」という認識は正しいのだろうか。もちろん、正しい側面。が、まず、相続差別というより、婚外子差別、という方がこの際、正しいかもだ。実は婚外子差別をなくしたところで、婚外子が劇的に増えるとも思っていない。
戦前はこの日本でも7%まで婚外子がいた。相続は家督相続制で、婚外子には相続の権利すらなかったのだ。
では、なぜ7%あったかというと、妾が認められていたからだと私は思っている。
つまり、戦前は<現代よりも>、貞操観念にとらわれず、カップルのあり方が自由で<語弊があるが>、かつ、シングルマザーが生きやすかったということではないか、と。

残念ながら、この社説にはシングルマザーという視点が欠落していたと思う。ひとり親家族への支援が充実している北欧諸国などの出生率の高さを考えると、カップルに属しない生き方も広く認めるべきである。
またフランスなどは生涯独身であろうと尊敬される成熟した社会である。
つまり、婚姻の有無やパートナーの有無にかかわらず、生き方の多様性を認めることは、婚外子をも含む、出生率に貢献するのだ。
そういう意味で、あくまで「結婚のあり方」の枠の中だけにこだわって、婚外子問題や少子化問題を語るには、いささか腑に落ちない点ではあるのだ。「結婚とは別の形のカップル」、すなわち「事実婚※」の子どもの差別をなくせ、と言っている文脈においては、婚外子であろうとカップルに属していて当たり前、という既成概念から逃れられていない。男に属しない出産など眼中にもないのであろうかと。
(※注:事実婚も、男に属するカップルの形、と言えます)